リネンの歴史と種類

最近ではサステイナブルな素材として最注目されているリネンですが、リネンそのものの歴史についてはあまり知られていません。今回はリネンの歴史について書いていきます。

 

リネンに関する様々な単語

リネンの歴史を知る前にリネンにまつわる言葉を少しご紹介します。リネンは広い意味でいうと「麻」ですが麻、亜麻、大麻、ヘンプ、ラミー、ジュート、リネン。。。など麻に関する言葉はたくさん存在します。これらの言葉の違いを簡単に説明します。

麻:ヘンプ(Hemp)。大麻。衣類や寝具に、種子は食用、葉は医療用。
亜麻:フラックス(Flax)。衣類や寝具に、種子は食用で亜麻仁油も有名。
苧麻(ちょま):ラミー(Ramie)。別名カラムシ。衣類や寝具に使用。
黄麻:ジュート(Jute)。トートバッグやコーヒー豆の袋などに使用。
洋麻:ケナフ(Kenaf)。様々な種類の"紙"に使用。

「リネン(Linen)」はこの中で、亜麻から採れる繊維の呼び名になります。ここまでがイントロダクション。ここからリネンの歴史についての記事の始まりです!

 

リネンの歴史

リネン生地の歴史の始まりは何千年もさかのぼることになります。当時どのように使われていて、現在どのように進化してきたのか。それらを通して「リネン」が多くの人に選ばれる生地となった理由を紐解いていきます。

1. 古代のリネン
2. リネンと宗教
3. リネンの層:最初の複合繊維
4. 中世のリネン
5. ヨーロッパのリネンベルト:オランダ・フランス・ベルギー
6. リネン産業の衰退
7. 近代のリネン

 

1. 古代のリネン

亜麻(フラックス:リネンの原料となる草)は人類が最初に織った生地となりました。亜麻で織られた最古のリネン生地の切れ端は有史以前のコーカサス地方にあった洞窟で発見されおよそ3万8000年前のものと推定されています。

時代は進み紀元前5000年の古代エジプト。貨幣がまだ存在しない時代でお金の代わりに物々交換が行われていました。普段着からミイラの包帯まであらゆるシーンで使われていたリネン。亜麻は当時の経済を支えるなくてはならない存在だったのです。

吸水性や熱伝導性に優れたリネンはエジプトの気候には理想的でした。今日でも古代エジプト人の墓石に使われていたリネンは良好は保存状態で発掘され当時の古代文明の背景を知ることができます。染料を使う技術は当時のエジプトにはまだ存在せず生成りの状態か漂白された白のリネンが使われていました。

リネン衣類の使用は地中海の他の文明にも影響を与えました。ローマでは亜麻のことを"もっとも役に立つ糸"と名付けられるほどでした。

2000年後、リネンは世界的なものになりました。古代フェニキア人はリネン糸をスコットランド、ペルシャ、インド、中国へ輸出。ヨーロッパの寒冷地帯ではリネンでシャツやシフトドレスを作ったりウール服の下に着るシュミーズ(肌着)にリネンが使われました。こうしたことからリネン(Linen)は裏地(Lining)やランジェリー(Lingerie)の語源にもなったのです。


"ハヤブサが刻印されたミイラの包帯"(紀元前1000〜945年)
エジプトのヘネタウィの墓で発見

 

2. リネンと宗教

リネンを身にまとうということは多くの文化において”純粋である”という意味を含んでいます。実際に古代エジプトでは神々が地球へ降り立つ際にリネンを着ていたと信じられていました。暴露本である「最後のキリスト教新約聖書」では"純白のリネンを身にまとった7人の天使が神殿から現れ…"という一節があります。

ギリシャの哲学者プルタルコスは1世紀に記した書物モラリアの中で神父がウールではなくリネンを着る理由を次のように記しています。

「毛を刈り取ることで羊の不純を取り除くのに、その家畜の毛を身にまとっている彼らは馬鹿げている。地球から生え上がってくる亜麻は不朽であり、我々に食せる種や清潔な服を与えてくれる。暖を取るために積み上げてもその重さに負けることもなく季節も問わない。」

 

3. リネンの層:最初の複合繊維

リネンは最初の織物であるだけでなく、最初の複合繊維の製造にも貢献しています。層状に重ねられたリネンでできた胸当ては地中海からアジアを広く支配したアレクサンダー大王によって着用されていました。

しかし、それより400年前の書物イーリアスではギリシャ神話の英雄アイアースがリネン層の胸当てを着用していたと記されており、リネンの複合繊維は何世紀もの間使用されていたことが読み取れるのです。


リネンの層で作られた鎧リノソラックスを身に着けてたアレキサンダー大王のモザイク

 

4. 中世のリネン

リネンの生産は789年に家庭内で行われるようになりました。フランス王シャルルマーニュはフランスの全世帯が亜麻を栽培し自家製のリネンを織るよう法で定めたのです。この伝統は18世紀まで続き服や寝具など家庭で使われる生地は全て自家製でまかなわれていました。

その後数世紀に渡ってリネンは多くのアートを形成してきました。11世紀のバイユー地方のタペストリーでは、イングランド王ハロルド2世から王座を奪取したウィリアム征服王を70メートルのリネンに刺繍で描いたり、16世紀初頭のフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスは木材のパネルからリネンのキャンバスに切り替えて多くのヨーロッパの画家に影響を与え、今日でもその画材が一般的となっています。

 

5. ヨーロッパの”リネンベルト”:オランダ・フランス・ベルギー

17世紀前半にはオランダの町ハールレムがリネン作りの中心地になりました。オランダで暴動が起こった頃に南部にいたリネン職人が移住してきたのです。

ヨーロッパの他の地域の商人もハールレムへ漂白や仕上げのためにリネンを送り届けるようになり、ハールレムの漂白場を描いたヤーコプ・ファン・ロイスダールの絵画の数々がその工程を後世へ残しました。

リネン産業は17世紀の終わりに衰退していきます。リネンの商人たちは作業を安価に済ませるため田舎の町にこれらの工程を求めるようになったのです。

16世紀フランスではリネン職人は宮廷の人々へ良質の服を納めていましたが、17世紀にルイ14世によってフランスでのプロテスタントの信仰が禁止されるとそうした手に職を持った人々がドイツや北ヨーロッパへ流れていきました。

オランダやフランスでのリネン産業の衰退により新たにベルギーのフランダース地方、中でもティールトの町がリネンでにぎわうようになりました。ユリウス・カエサルが紀元前100年頃にフランドル産のリネンの品質について言及していましたが、時を経て18世紀にその言葉は受け継がれる形となったのです。

1840年までにティールトに住む世帯の71%がリネン作りを行っていました。

 

6. リネン産業の衰退

産業革命初期の1810年にフィリップ・デ・ジラールが亜麻精紡機を発明するとリネン作りは以前よりずっと簡単で安価になりました。しかし、これがリネン衰退のきっかけとなったのです。

リネンより強度で劣る綿(コットン)はさらに容易で安価に大規模な製造が可能で産業革命時代には綿が好んで選ばれるようになり、1850年代にはヨーロッパのリネン産業は衰退していきました。

それでも、第一次および第二次世界大戦の頃にはロープやシート、強度を要する衣類などリネンが適する用途では引き続きリネンが使われていましたが、ドイツ軍がヨーロッパの亜麻の供給を止めたことでアイルランドやオーストラリアの亜麻農場は脇へと追いやられました。農場に従事していたのは多くが女性でその影響を受けたのです。

 

7. 近代のリネン

世界大戦による混乱で有名なリネン職人やその家族は地元への帰郷を余儀なくされました。これがリネン・ルネサンスのきっかけとなりました。20世紀になるとリネン製のフォーマルな夏服が人気になりました。

今日、プルタルコスがリネンの"純粋さ"を賞賛してからおよそ2000年を経て、リネンは地球環境への影響が少ない素材として再び注目されるようになりました。消費者運動や環境デモが、地球環境への影響が懸念される安価な人工繊維や綿衣類への価値観の見直しへと多くの人を導いています。

インテリアのトレンドとしてもエシカルな素材として選ばれるようになってきています。1990年代に流行した膨らませて使うビニールチェアやラバライトは消え、長持ちする木製家具やオーガニックリネンのような天然素材が使われるようになりました。

リネンは何世紀にも渡って強度に優れた素材であることが証明されてきたサステイナブルな素材なのです。

 

引用元:"THE HISTORY OF LINEN" by THE MODERN DANE
2021年12月26日