ユネスコ無形文化遺産「歌と踊りの祭典」
バルト三国それぞれで開催される「歌と踊りの祭典」
実際は3年の時もあれば5年の時もあったり、直近ではコロナの影響で6年ぶりの開催になったりするのでオリンピックのように絶対固定して開催しているようではないようです。開催年は都度確認するのが良いでしょう。
さて、今回は"リトアニアで開催される"「歌と踊りの祭典」についてがっつり深掘りしてみたいと思います。とはいえ、世界遺産としてはバルト三国として登録されていたり、3カ国で開催されている理由も歴史を遡るとわかってくるのでそうした背景も含めてこのイベントをご紹介できればと思います。
メインは「歌」だけど「踊り」が凄い
イベントの名称はリトアニア語では"Dainų Šventė"(ダイヌ スベンテ、ダイヌ シュヴェンテ)と呼ばれ"Dainų"は「歌」、"Šventė"は「宴」を意味します。「歌の宴会」つまり「歌謡祭」といったところでしょうか。
ネットやSNSで見られる写真では大規模な踊りの要素がフォーカスされていますが、歌うことから始まった伝統を持つ祭典ということもあり歌のお祭といったニュアンスの名称。4年に一度開催され2018年が独立100周年のメモリアルイヤーでの開催、2024年は1924年の第1回目から100周年の記念開催となります。
「踊りの日」に披露される大規模な舞踊。圧巻です。
ユネスコ世界無形文化遺産
4年に一度開催されるリトアニアの「歌と踊りの祭典」はエストニア、ラトビアで開かれる祭典とともに「バルト地方の歌と踊りの祭典」(リトアニア語:"Dainų švenčių tradicija ir simbolika Estijoje, Latvijoje ir Lietuvoje" / 英語:"The Baltic Song and Dance Celebrations")として2003年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。
バルト三国としての共通の伝統を継承しているのにはソ連からの独立運動につながった背景が強いと思われますが、こちらは後ほど触れていきたいと思います。
生命の木をイメージしたロゴが象徴するもの
イベントのロゴは「生命の木」を表現し、「根」「王冠の付いた幹」「頭頂部」の3つから構成されそれぞれ以下のようなシンボルとなっています。
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根:過去・始まり
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幹と王冠:現在・不屈・繁栄・命
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頭頂部:未来・希望
また木の根に栄養を与え命を授ける"地面"は「リトアニア」そのものを、頭頂部の"羽ばたく鳥"は幾多の努力と困難を通して自由を勝ち取った「魂の歌声」を表していて、これらが一つになって聖なる歌となり「歌の祭典」を形成しているのです。
リトアニアはかつてヨーロッパ最大の国家を誇る時代があり、そこからロシア帝国とソビエト連邦による2度の支配があった後、2度の独立を勝ち取っています。絶対に諦めない不屈の精神や犠牲になったものを尊ぶ心は様々な場面で掲げられているテーマでもあります。
多くの人が一つの意思を持って集まることはもの凄い力になる。
歌の祭典の歴史
この伝統の起源となる世界で最初の歌の祭典は1843年スイスのチューリッヒで行われ、バルト三国では1869年にエストニアで、1873年にラトビアで開催されるようになりました。
リトアニアでは1895年2月17日に最初のコンサートが行われ1902年に初めて"The Song Celebrations"(歌の祭典)と名が付くようになりました。1903年には"Suktinis"(スクティニス)と呼ばれる踊りが初めて披露され、これを機に各地に広まりリトアニアの伝統舞踊となりました。
現在でも祭典の目玉となっている"Song Day"(歌の日)が初めて開催されたのは1924年8月、カウナスに3000人が集い36曲もの楽曲を披露しました。現在では首都ヴィリニュスやカウナスの複数の会場で1週間をかけて開催される大規模なイベントとなっています。
またリトアニア政府は2000年、リトアニアの歌の祭典を継続し伝統を保存することを議会で決定。2003年にユネスコ世界無形文化遺産への登録を経て、2007年にはこの伝統の保存と発展、イベントが滞りなく運営されるための組織化と責任に関する法律が定められ伝統を保護するようなりました。
伝統舞踊「スクティニス」の踊り方。"スクティス"が「回る」を意味する単語。同名のお酒はリトアニア国家遺産にもなっています。
2024年のテーマは「緑の森よ永遠に」
祭典は1週間にわたって開催され参加者は何年もの準備を経てこの日を迎えます。3万7,000人のパフォーマーによる14つのイベントには実に100万人にのぼる観客がこの瞬間を目の当たりにします。
“Green Forest Forever”(緑の森よ永遠に)と題された100周年の節目を迎える2024年の祭典はリトアニアと自然や伝統とのつながりへの深い想いが込められています。
木々の活気に満ちた森の成長と同じように歴史的課題を乗り越え国家として成長してきたその歩みを象徴し、自由、創造性、記憶を語り継いできました。
独立運動と文化的アイデンティティ
過酷な国家占領という激動の時代を生き抜いたリトアニアの人々は、歌が持つ圧倒的な力を通して癒しと団結を見出しました。祭典は復興がもたらす感動や確固たる自由追求の象徴であり先祖代々の伝統が持つ文化的価値を守る役割を果たしました。
20世紀の終わり頃リトアニア、ラトビア、エストニアの人々は崩壊しつつあるソ連の力に挑戦をしました。独立運動では自然発生した歌声が特徴的な大規模集会が行われ、今日ではこの歴史的現象は”Singing Revolution”(歌う革命)として知られています。
「歌と踊りの祭典」という伝統はバルト三国が自由を勝ち取るために行った勇敢な独立運動を後押ししていたとも言えるのかもしれません。
国境を越えて祝う絆
リトアニアの国境を越えて世界中に点在するリトアニア人コミュニティで歌と踊りの祭典が行われています。第二次世界大戦中とその直後、リトアニア人の大多数は西側諸国へ避難するか圧政的なソビエト政権下でシベリアへの強制送還に耐えてきました。
特筆すべきはイガルカ(シベリア)のリトアニア人強制労働者が1953年に地元初の歌の祭典を主催し、続いて1956年には北米在住リトアニア人が主催したことです。海外に離散したリトアニア人が各地で新しい合唱や踊りの団体を作り生き生きと自分たちの文化的アイデンティティを表現していたのです。この事実は間違いなく我々の遺産を保存するための力強い手段となり、現在の「歌と踊りの祭典」の人気へとつながりました。
当時から「踊りの日」は大規模で圧巻のパフォーマンスだったことが伺えます。
歌と踊りの祭典のハイライト
歌と踊りの祭典は”Folklore Day”(民謡の日)、 “Ensembles’ Evening”(合唱の夜)、”Dance Day”(踊りの日)、そして最も期待される”Song Day”(歌の日)を含めて、リトアニア文化を表現した様々なイベントと共に1週間に渡り開催されます。
「踊りの日」はヴィリニュスのサッカースタジアムで開催され9,000人以上のパフォーマーが大地と空、過去と現在、多様な文化の融合、これらのつながりを象徴する民族舞踊で表現します。
1週間のクライマックスとなる「歌の日」はヴィンギスパーク野外劇場で開催され1万2,000人のパフォーマーが古典と現代の要素を融合させた構成で歌唱を披露し観衆を魅了します。3時間に及ぶプログラムは世界中のリトアニア合唱団によって構成され、リトアニアの歌唱文化の進化を反映しています。
今日、リトアニア人はその揺るぎない精神、並外れたリーダーシップ、そして生粋の復興力で知られています。歌と踊りの祭典という愛を持って育まれた伝統を守る使命に誇りを持ち、一世代また一世代とこの豊かな遺産を未来へ伝えています。
イベントの最終日を飾る「歌の日」の様子。
2018年「歌と踊りの祭典」告知動画。大規模な歌唱や舞踊は4年に一度の貴重な経験。
おわりに
リトアニア観光の時期としてオススメなのは3月のカジューカス祭や夏の過ごしやすい時期ですが、ユネスコ無形文化遺産に登録される4年に一度の「歌と踊りの祭典」が開催される年は開催時期に当たる6月下旬〜7月上旬の"夏至"の頃を選んでみるのも良いのではないのでしょうか。
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2024年2月8日
by hshmtyshk
引用:
Lithuanian Song Celebration - "History" https://dainusvente.lt
Official Website of Lithuania - "Celebrating a Century of Lithuania’s Singing Tradition" https://lithuania.lt/news/life-and-work-in-lithuania/celebrating-a-century-of-lithuanias-singing-tradition/